本気で勉強をしなければいけない人、底辺から這い上がりたい人に伝えたいことがあります。
- 公立中学の定期テスト200/500
- 進学した高校の偏差値は43
- 勉強もスポーツも出来ない
- 中学3年間ネトゲに1万時間ハマる
こんな私でも大学受験で逆転し、今ではアメリカのワシントン大学院で勉強できるまでに成長しました。
その経験を是非シェアさせてください。
ネトゲ中毒で1万時間を無駄にする中学生
典型的な陰キャゲームオタク
普通の公立中学で普通の中学生をやっていました。「勉強が出来る奴は根暗」「ヤンキーこそがカッコいい」そういう学校です。
その学校での私の立ち位置は
fa-userゲームオタクのくせに勉強もできない”陰キャ”。
陰キャとは:
陰気な性格の人を意味する俗語。クラスの「イケてない」人やグループの総称として用いられることも多い。
同級生から「女々しい」といじられていた吹奏楽部所属の私は、この言葉がすごく嫌いでした。
”男のくせにネチネチしてる”というイメージが”陰”という言葉にピッタリ当てはまって自己嫌悪していました。
自分に自信もなく、一緒に外で遊ぶ友達もおらず、毎日オンラインゲームをしていました。
高校なんてどこでもよかった
高校受験でさえ勉強なんて一切しませんでした。
ゲーム熱中少年には勉強なんて必要なかったからです。
自分の人生に大事なのはゲーム内での仲間であって、勉強なんてものではなかったからです。
勉強しなかった結果、偏差値43の高校に行くことになりました。
偏差値43の高校に受かったことさえ奇跡のようなことでした。
底辺が勉強をしようと思う動機とは
何にも興味がもてない暗黒時代
高校入学後は興味本位で軽音楽部に入部しました。
その後1回もライブをせずに幽霊部員として退部しました。
もしかしたら音楽の才能あるかもと考えていた中学時代はとっくに過去の話になっていました。
勉強も部活もしない、まじめ系クズの極みに成り下がりました。
中学時代に熱中したオンラインゲームはもちろんまだ続けていました。
アニメを見ることも好きだったので、1年生の進路相談のときには声優になりたいと言って先生に困らせていました。
2年生になるころには文理選択をせまられますが、世間のことを何もしらないので進路なんて考えられませんでした。
大学は東大しか知らないレベルです。マーチや関関同立はもちろん、早慶や京大すら聞いたことすらありませんでした。
ただ、数学が唯一好きだと言える科目だったので理系の道を選びました
環境が人を変えるということ
美術部に誘われて青春を謳歌?
2年生になった時
と突然クラスメイトに勧誘されました。美術の授業で描いた私の作品が顧問の目に止まったみたいでした。
そこそこ画力に自信があった私です。部活にスカウトされて率直に嬉しかった記憶があります。
結果的にはこの美術部入部が私の考え方を大きく変えました。色んな人がいたんです。
- 一般の某有名雑誌で原稿を入れているプロの先輩
- 宝塚音楽学校に合格したから高校を退学した同期
私を美術部に勧誘をしてきた人にも確固たる軸が一つあって、自分自身のしょぼさを改めて実感するわけです。
深く考えさせられました。
クラスの雰囲気がとても良かった
話は少し変わります。二年生のクラス分けは文理別で分けられました
私は理系クラスですが、学年で17人ほどしかいませんでした。
しかも物理の授業は4人、数学Ⅲは3人しかいないような環境でした。
少人数での授業はもちろん楽しかったのですが、フツフツと自分自身に対する疑念がわいてきました。
偏差値43の高校といえど、理系を選ぶからには皆やりたいことがあるわけです。
医療の道に進みたいとか、生物学を勉強したいとか、将来の目標があるわけです。
数学が唯一好きな科目だからと消極的に理系を選んだ私とは根本的に違いました。
皆スポーツもやっててポジティブで、尊敬できる人ばかりでした。
運動神経も頭も悪い、人並みに絵が上手いだけで他に取り柄がない私は一体何なんだと考えるようになりました。
数学の宿題で価値観が変わる
ある日、数学の授業で注目をあびることがありました。それは課された宿題についてでした。
fa-file-text-o”数1Aのセンター過去問を一度解く”
という宿題が出されました。
私は数学が好きなのでパズル感覚で5時間かけて全問解いて提出しました。
すると翌週、その宿題の匿名の点数一覧がクラスボードに張り出されてるんです。
掲示板付近で「誰だ」「すごい」などクラスメイトがざわついていたの見に行ってみると、ぶっちぎりの98点を取っている人がいました。
もちろんその98点は私です。
センター試験を5時間で解くという荒技で取った98点だということは皆知らないわけですが、その98点を見てすごいと言うのです。
これまで私は「勉強ができることはダサい」と思ってきていたので、正直言ってかなりの衝撃を受けました。
この点数は今でも覚えています。初めてやりがいを感じさせてくれた、幻の98点だからです。
調子に乗った私は、人生で初めて数学の定期試験の勉強をしてみようと決心をしました。
そうして数学2Bのどちらの試験でも満点を取ることができました。
それを見た同級生はやはり褒めてくれるのです。
次第に数学キャラというアイデンティティーが確立されていきました。
数学の話になるとクラスメイトは毎回私をいじってくれるようになりました。
私という人間が認められた瞬間、そういう貴重な瞬間がこのクラスにはありました。
美術部のコンクールを終えて感じたこと
2年生の夏、所属する美術部がコンクールに参加することになりました。
プロとして活躍していた美術部の先輩はもちろんコンクールで優秀賞は取るし、私を勧誘した同級生も全国に行っていました。
その中で揉まれて
とハッキリと気が付かされました。
絵はもちろん好きだけど、何かが違う。数学への好きとは何かが違う。
そう気づいた時に数学一本に絞って勉強する決意をしました。
平和なクラスと美術部に気付かされたんです。自分の本当にすべきことを。
重要なのは偏差値の高い学校などではなく、環境だったということです。
1年間数学を本気で勉強するぞ
人生で初めての受験勉強を始める
ということで、偏差値43の高校の生徒がいきなり青チャートに手を出しました。
定期テストで100点とっていたとしても歯が立つはずもなく、もちろん玉砕です。
参考書として評価が高いから買ったのに全く分かりません。
ただ幸いなことに勉強が出来ないことへのプライドはなかったので、教科書から愚直に勉強し直せたのはラッキーでした。
底辺魂も時には役に立ちます。
自分に合った完璧な1年戦略を立てる
数学が好きだった私ですが、数学以外は大嫌いでした。
数学以外の勉強は絶対にしたくありませんでした。英語なんて論の外でした。
でもどうせ大学へ行くならトップの大学へ行きたいとも考えていました。あまあまのあまです。
その私がとって受験戦略は一見するととんでもないものでした。
fa-graduation-cap東京工業大学数学1科目AO入試
「超難関大学が数学1科目で行ける」という情報をネットで見つけた時は運命を感じました。
数学の勉強だけをすればいいと安易に考えました。
試験概要は誘導の無い数学の問題4問・5時間制限です。この時間設定からして相当の難易度だとわかります。
先生からは失笑された
偏差値43の高校に通うバカがバカな夢を見て諭さない大人はいません。
進路相談で東工大という言葉を出すたびに先生は「東工大とはあの東工大か」と聞くわけです。
「確認するけど東京工業大学のことか」と再三聞くわけです。
もちろん先生も口に出して無理だとは言いませんが、本気で私が東工大に行けるなんて誰も思っていません。
私のようなバカは勉強の世界では常に孤独なのです。
そんなことを言われても、私は東工大受験を諦めませんでした。
人生は自分のものです。
本気で頑張りさえすれば夢が叶うのか?
勉強をしたことで自信がついた
人の目を気にせず数学に没頭していた私は、数学の先生を見つけては質問責めにしました。
わからないことがあるたびに、数学の先生に嫌がらせのように質問に行きました。
興味本位で調べた数学オリンピックの問題を見せて困らせていました。
身近で私を見ていた数学の先生たちは、いつも親身に数学の相談に乗ってくれました。
そうこうしてるうちに学年が上がり、1年生の時に担任だった先生がまた担任になりました。
1年の進路相談の時に「声優になりたい」と伝えたあの担任です。3年の進路相談のときにはは「東工大に行きたい」と伝えました。
この先生は、もともとは和歌山県トップの進学校である智弁和歌山高校で教鞭をとっていた頭のいい先生で、東工大の難しさはもちろん教師として熟知していますし、私が東工大に行きたいと初めて伝えた時も、もう少し現実を見ろというアドバイスをいただきました。
悔しさを感じないわけではありませんが、ここで諦める私ではありません。底辺に下は見えません。上がっていくのみです。
どうやったら大人たちは私のことを信じ始めるのだろうか?そんなことを考えて2つのことに挑戦しました。
底辺が挑んだ2つの挑戦
- 数学専門塾SURに入塾する
- 数学検定準1級に合格する
数学専門塾SURに入塾する
数学専門塾SURについて:
関西の一流進学校の生徒が集まる少数精鋭の塾で、進学実績は東大や京大、国立医学部を含む最難関レベルばかり。塾生の中には、英検1級を保有していたり、数学オリンピックや物理オリンピックでの受賞者もいる。
レベルの高い塾ですから入塾テストがもちろんあります。
私のようなバカが半年勉強しただけで受かるような塾ではないのですが、東工大AOを目指しているのに入塾すら出来なければ嘘だろうということで挑戦してみました。
入塾テストが終わった時は手応えがなくおそらくダメだろうと思っていたのですが、結果は40/120で合格点ギリギリで滑り込みました。
数学検定準1級を取得
2つ目の挑戦は数学検定準1級です。2次試験は一発で合格、1次試験は2回で合格しました。
SURの入塾テストの方が少しだけ難しかったのは流石としか言いようがないです。
大人の態度も変わり始める
実績をつけた私の本気度が伝わり、東工大は無理だと突っぱねていた担任と真剣に進路の相談ができるようになりました。
話を聞いてみるとその先生も、高校時代に私と似たような進路をたどろうとしていて、得意の生物1本で難関大学に挑戦したけど失敗したそうです。
失敗したから「私に夢をみるな」とアドバイスをしたようでした。
それは私が本気で勉強しなければ得られない情報でした。
fa-child最初は誰も見向きしてくれなかったのに頑張れば頑張るほど応援してくれる人が増えていきました。
SURで行われる東大京大入試レベルの塾内テストでも2番の成績を納めるまでに成長しました。
入塾当初は自分より数学ができる人ばっかりだ、すごいな、などと思っていましたが、とうとう自分がその位置まで上り詰めたのです。
準備は万端、このまま東工大AO入試に突入することになります。
東工大は不合格に終わる
現実は甘くないです。
たった一年数学を勉強しただけでは、数学オリンピック常連が受験してくるような東京工業大学1科目AO入試の勝負には勝てませんでした。
なんとなく分かっていたものの実際に不合格となるとショックは大きいものです。
放心状態になり何もできなくなりました。文字通り数学しか勉強してこなかった私ですから、今更もう何をしても遅いのだと、そのときは後悔していました。
滑り止めは近大
滑り止めは近大でした。推薦入試で英数科目だけのテストでしたが、数学でほぼ満点をとることで合格できました。
推薦での合格なので学校に連絡がはいり、合格発表翌日に登校した際、クラスルームで謎の拍手喝采で迎えられました。
恥ずかしながら嬉しかったです。落ち込んでいた気持ちも、また皆に励まされた瞬間です。
培ってきた自信は消えてなかった
ふと気づいたのが一つの可能性でした。
そう思った私は早速、数物英で受験できる各私立大学の合格最低点を調べました。
たとえ英語が0点でも、数学と物理で満点をとって合格できるラインなら可能性はあると思ったからです。
数学のレベルだけで言えば東大レベルはあるんだから、高校物理なんて余裕でマスターできるだろうという自信がありました。
実際、数学で培った論理力と立式力、計算力のおかげで、高校物理の勉強は1ヶ月で終わりました。簡単でした。
立命館大学を英語ほぼ0点で合格
英語はほぼ0点でしたが、理系に力を入れている立命館大学に合格することができました。
土壇場でも諦めないことが大事なんだと生まれて初めて実感した瞬間でした。
高校の卒業式の日、クラスでの挨拶で、お世話になった担任の先生がこう言いました。
まとめ
バカは勉強に関して孤独です。
でも、たとえ周りからなんと言われようと自分だけを信じて努力を続けてください。
自分が信じるものを一つコレと決めたのなら、それに向かって頑張ってください。
始めるのに遅いも早いもありません。
いつからでも挽回はできます。
頑張り続けることが出来れば。
底辺育ち?
叩き上げ?
上等です。一緒に登りつめてやりましょう。
Solitary trees, if they grow at all, grow strong.
孤独な気は、仮に育つとすれば、丈夫に育つ