もともと偏差値43の高校の底辺だった私。
大学受験は東京工業大学を目指すも結果はあっけなく、大学は立命館へ。
低偏差値の世界からは抜け出せたが志望校に落ちた事実は揺らがない。私からすれば受験に失敗したも同然でした。
浪人も選択肢にありましたが貧乏家庭なので入学金を収めた後に親に言えるはずもなく、立命館で学生生活を過ごすことに。
中堅私立でくすぶることなく人生を逆転させた方法を共有したいと思います。
入学後次第に劣等感を持ち始める
入学直後はまだ順調だった
底辺高校出身なので知的水準の高い人たちに囲まれて友達ができるかどうかが不安でしたが、仲のいい友達が4人出来ました。
1年生の1学期は毎週友達の家に泊まって大学生活の青春をエンジョイしてました。
大学の数学研究会に所属し、勉強面でもそこそこ充実した生活を送っていました。
教科書を読んでも言葉が理解できない
授業を受けていく中で痛感させられたのが、教科書を読んでも言葉が理解できないということでした。
数学しか勉強してこなかった私は教科書に書いてある難解な漢字や語句の意味が全くわかりませんでした。
英語の勉強も人生でしたことがなかったので、横文字の意味も全くわかりませんでした。
アイデンティティー?コモディティ?アップルティー???
そんな状態でした。
貧乏家庭にのしかかる学費負担
私の家庭は率直に言って貧乏でした。大学の学費なんて払えるわけがない収入水準です。
それでも私立理系に通うことができたのは奨学金を満額の月17万円借りていたからでした。
当時は成績優秀でもなかったので給付奨学金なんてもらえるはずもなく、学費160万がそのままのしかかります。
下宿よりも実家からの通学のほうが安くすむため、毎日大阪から琵琶湖まで片道2時間半かけて通学していました。往復であれば5時間です。
通学費用も月2万5千円とバカにならず、生活費も合わせると月80時間のバイトをせざるを得ませんでした。
その時のタイムスケジュール
平日 | |
6〜9時 | 起床&通学 |
9時〜16時 | 授業 |
16時〜19時 | 帰宅 |
19時〜22時 | 勉強 |
休・祝日 | |
8時〜15時 | 勉強 |
15時〜21時 | 就寝 |
22時〜8時 | 夜勤バイト |
通学とバイトだけで毎月200時間費やしていたことになります。
それもこれも大学受験に失敗して国立にいけなかったからです。
バカと貧乏からあふれ出てくる劣等感
次第に私は劣等感を持ち始めました。
入学前まではバカであることを誇りにおもっていた私ですが、周りの水準が高くなるとこれは劣等感にかわりました。
貧乏であることも要因の一つで、何か成し遂げなければならないと焦る気持ちのみが大きくなっていきました。
落ちこぼれ大学生のターニングポイント
お金持ちになる最短の手法
大学受験の時、数学だけを勉強して大学合格を勝ち取るんだと意気込んでました。
大学入学後は数学を使ってお金持ちになるんだと意気込み始めました。
でもどうやって?
そんなことを考えてるときに出会ったのがプログラミングの授業を受け持つ先生でした。
この先生はクオンツといわれる仕事に従事したことがあって、クオンツに関する知識を私に教えてくれました。
クオンツになればお金持ちになれる。お金持ちになれば人生逆転できる。
でもクオンツになるためには数学力に加えて、英語とプログラミング能力もかなり重要になってくるとのことでした。
プログラミングは数学とにていたので苦手意識はなかったですが、英語の勉強をせざるを得ないとなると中々踏み出せませんでした。
世界で一番嫌いなモノが英語だからです。
単位を落として重大さに気づく
英語は世界で一番嫌いなので、大学入学後も全く勉強しませんでした。
その結果何が起こるか容易に想像できますが、1年前期の英語の単位を余裕で落としました。
夏休みボケが終わり後期学期の授業が始まると、事の重大さに気づき始めます。
考えてみれば当たり前のことですが、実際に単位を落とすまでは実感していませんでした。
そこで英語が得意な友人に勉強法を聞き出し、単語帳の使い方を聞き、アルクの中学レベルの単語帳から勉強を始める事にしました。
とは言ってもただ大学に通うだけで月200時間削られる上、他の授業も復習しなければいけないため、英語の勉強時間はわずかしかありませんでした。
どうせ英語を勉強するなら留学したい
せっかく英語を勉強するなら、留学もしてみたいなと貧乏学生ながら思い始めました。
暇な時間にネットサーチしていると、どうやらアメリカのトップ大学院にタダで留学ができることを知りました。
きな臭い話でしたが更に調べていくと、タダで留学できるだけでなく毎月20万円給付されることも知りました。
貧乏学生にとってこんなおいしい話はないわけです。
アメリカのトップ大学院に合格するのはかなりの難易度だと知っていましたが、高校の時もバカみたいな難易度のことに挑戦していたし、今回もやってみようという気持ちになりました。
やっぱりアイビーリーグに行きたい
アメリカのトップ大学院といえば、やっぱりアイビーリーグです。その中で数学の名門といえば、やっぱりプリンストンです。
大学4年間本気で勉強すればプリンストンに行けるんじゃないか?本気でそう考えていました。夢見るバカの再誕です。
クオンツになるためにはアメリカ大学院の博士号を持っていれば優位と聞いていたので、これを目指さない手はありませんでした。
友達に目標宣言をして笑いを取る
昼食中の突然のこの言葉に、友達は笑ってくれました。
偏差値43の高校で東京工業大に行くわ!と先生に宣言したときと同様、反応は似たようなものでした。
英語の単位を落とした人間で、しかも1年終わりのTOEICの点数が250点程だったので、友達もさすがに笑うしかなかったのでしょう。
バイトをするのが馬鹿らしくなる
勉強をしなければいけない時期なのに、通学とバイトで200時間も取られるのが本当に情けなくて馬鹿らしくて仕方ありませんでした。
そこで気づき始めたのが一つの可能性。
ということでここからが大学人生逆転劇の始まりでした。
勉強が目先のお金に直結するため、本気で勉強に取り組めたんです。
通学時間中は英単語や英文法を覚えたり、ペンギンリーダーズを読んだり、ひたすら英語に費やしました。
数学だけでなく、経済やプログラミングの授業もあったため幅広く勉強しなければいけませんでしたが、なんとか2年終了時には成績優秀者になり、3年次の授業料のうち半額給付(80万円)されることになりました。
それでも英語だけは伸びなかった
自分なりに本気で頑張って勉強してきたつもりでした。
それでも英語力だけはほとんど伸びませんでした。
一年間人生ではじめて英語を勉強して、これはTOEICも900点超えているだろうと思いましたが全く甘かったです。
結果は驚くべきことに450点でした。200点も伸びたと考えればポジティブですが、しょせんは450点です。これでは大学院留学なんて行けるはずもありません。
東大生のTOEIC平均スコアは700点だそうです。
高校時代、数学を1年だけ本気で勉強した結果、東大数学でなら8割とれるレベルに成長したので、今回も1年間勉強した英語力は東大レベルになっているだろうと期待していましたが、全くのお門違いでした。
寝る時間も削って頑張って勉強したんですよ。
あらゆる場所で見つけられるネット言葉にすっかり騙されていました。
3か月は無理でも1年あればいけるだろうと、自分を買いかぶってました。
でも結果は450点の惨敗で、私は英語恐怖症のようなものになりました。世界一嫌いな英語ですが、言葉で形容しがたいレベルの嫌い度合いになった瞬間です。
もうこれ以上頑張れなくなった
何かの間違いだと信じ、TOEICを再び申し込んでも、試験当日に仮病をすることを何回も繰り返しました。現実を直視したくなかったからです。
点数を上げるために学校のTOEIC講座にお金を払いましたが、結局一度も通うことなく講座は終わりました。
大学受験での失敗を思い出してきました。もしかしたら、自分はもうだめかもしれない。人生の逆転なんて無理だ。そう思い始めました。
内部進学で現実から逃げた
結論から言うと、学部から直接アメリカの大学院へ入学することはできませんでした。というかそもそも出願すらしませんでした。
TOEICが500レベルではどうあがいてもTOEFLの足切りに引っかかるからです。
でも大学院留学を諦めきれない私は内部進学で時間を稼ぐことにしました。実質上の院試仮面浪人です。
またオンラインゲームにハマる
英語力をなんとかしなければいけないことはわかっていても、私にはどうにもできませんでした。
英語を勉強すればするほど、またTOEIC500点だったらどうしようと不安だけが頭を支配し、全く集中できませんでした。
息抜きにゲーム(スプラトゥーン)をしていましたが、これが最悪でした。
大学院の1年間をほとんどスプラトゥーンに費やしてしまった結果、当たり前ですが英語を全く勉強できませんでした。
仮面浪人で人生を諦める
仮面浪人をしている自覚があったため、専門の数学にも本腰を入れられず、結局、アメリカ大学院留学を諦めました。
TOEFLの受験申込は20回くらいしましたが、実際に受けたのは最初と最後の1回だけでした。現実を直視するのが怖かったからです。
最後に受けたのはもう全てを諦めた後の記念受験でTOEFL80点前後しかとれませんでした。
アイビーリーグなんかには到底いけるはずもない点数です。
精神の限界を感じてからのワンチャン
2年生になってら学校にも行かなくなり、授業は受けず、ご飯を食べてはゲームをして寝る、そんな生活を続けてました。
大学院留学だけではなく、数学を諦める決意もつきました。
親に大学院をやめることを告げました。アメリカの大学院へ出願することを含め、その時にいた大学院もやめると伝えました。完全にドロップアウトすると。
親は私のことをよく理解していますから、一旦言い出したら聞かないことはわかっています。
その翌日、指導教官の研究室を訪ね、大学院をやめることを告げました。
指導教官の返答は全て予想通りでした。自分でも分かっていたことです。
一生逃げ続ける人生を私は選びたいと思っているわけです。
帰りの電車で、指導教官の声が頭に響きます。同じ言葉を誰に言われても響かないのに、先生が放った言葉は頭から離れないんです。
その夜、本棚にある参考書を全て捨てることにしました。過去への決別です。おとなしく就職して、平凡に暮らすのが自分にあっているのだと信じ込もうとしました。
参考書を手に取り、ゴミ箱に向かい、その本たちを捨てようとしました。やっと楽になる。やっと解放される。そう思いました。それなのに、私にはそれが出来ませんでした。本を捨てることが出来ませんでした。
それどころか、困ったことに、何故か涙が溢れてくるんです。
悔しかった。
ただそれだけです。これまで頑張ってきたことが全て水の泡になることが、悔しかったんです。
どうせ全てを捨てるなら、最後にチャレンジしてからにしよう。
そう思って大学院に出願だけはすることにしました。ダメだったら退学しようと決意もしました。
神様は見ていた
大学ランキングで上位100位に位置するアメリカの大学院8校に出願しました。
そのうち7校はTOEFLで足切りが定められていて、私のTOEFLの点数はそれ以下でした。
でももしかしたらミラクルが起こるかもしれないと思い、それでも出願しました。
結果から言うと、足切りを設定してなかった唯一の学校、ワシントン大学から合格をもらいました。
指導教官との面接のときに、英語力はヤバイけど合格をあげるよという言葉をもらいました。
大学時代にしてきた努力は全くの無駄ではなかったということが証明された瞬間でした。
努力は何らかの形で実るのかな
大学受験に失敗し、TOEIC受験に失敗し、大学院受験に失敗するも、最終的には合格を勝ち取ることができました。
なんだかんだ諦めずにもがいてきた結果です。
ダメでもやるだけやってみるの精神は大事だということを実感しました。
受験に失敗しても何かしらの形で人生逆転したい人たちはいっぱいいると思います。
あなたが何を目指そうとしているのか、あなたが何に苦しんでいるのか、私にはわかりません。
オンラインゲームにはまっても、SNSにはまっても、細々とでもいいから頑張ることを続けてさえいれば、それに見合った成果は得られます。
少なくとも、そう信じることでしか私は救われませんでした。
少しでも人生逆転を目指している人の参考になれば幸いです。
When it is dark enough, you can see the stars.
どんなに暗くても、星は見える。